捨てるブログ

写真を撮ってどんどん不要物を捨てていきます。

残したい、でも未練があると捨てられないという人は多いはず。ですが、写真に記録を取れば思い出は消えないので3秒で捨てられます。そんな写真整理法を実践するブログです。「写真整理法」 は一応僕の考案です。2004年からあります(はてなブログにある同名ブログは別の人です)。何かありましたら、ご連絡はフォームよりお願いします。

THE NEWYORK CATALOGUE(シティロード別冊)


 学生の頃は「ぴあ」全盛期で、今とは比べ物にならないほどみんながぴあを見ては街のイベントへ、ライブハウスへ、コンサートへと足を運んでいた。
 ぴあが成功したのは「ちけっとぴあ」を作って、従来イベンター(興業関係)が圧倒的に力を持っていたものを、ぴあのほうが立場を上に逆転させたことが大きいと思う。また、口座をイベンターだけでなく小劇場・小公演(ライブハウス等)にまで幅広く開いていたことも、どちらかといえば顧客に近い層に支持された一因だろう。マイナー文化が力を持っていた、そんな時代だ。

 その中でアンチぴあ派の一派は「シティロード」という雑誌を読んでいた。エコー企画という今の西口ヨドバシカメラ付近にあった会社が出版し、後期にはアポロンクリエイトという、文化放送系のビデオ会社がスポンサーについていた(アポロンももう無いねー)。映画マニアが読むような本の作りは、とてもアクが強く、辛口評論が並んでいた。学生のときにスタッフ募集をみてここを受けに行ったときに、まあいつものごとく遅刻したこともあり、またあちらサイドのシビアな環境もあって受からなかったのだが、記念品としてこの本を貰った。2色刷が多いが、非常に実用的なニューヨークガイドで、DEEP東京BOOKという宝島社(JICC)系のガイドに近い、「ジャンル別のお店紹介」を中心とした構成。文化オタクの買い物には便利そうな本だったせいで、机の脚の畳へこみ除けになったりいろいろしつつ、よれよれになっても20年近く捨てられませんでした。きのう写真を撮って、やっと捨てました。
 

Capone Vol.8(昭和63年7月号チーク増刊)


名古屋流行発信という会社があって、十数年前に取材で訪れたことがある。もともと繊維業界の会社で、流れでファッション誌を作って…といったところだ。そこはチークという本がメインなのだが、実験的な雑誌としてこの本を姉妹誌として作っているということだ。確かに、別の号では韓国特集をしているなど名古屋っぽくないとこがすごい。この号の特集は「正しいリゾートの過ごし方・まるごと八丈島」。なぜか名古屋からの航路もない八丈島特集だ。とはいっても、それほどボリュームはない。アウトドア記事のほうがメイン。ただ捨てられないのはマイム・マイムの踊り方が乗っている点だ(笑)。山伏に人生相談してるのも面白いけどね。

ぷがじゃ(プレイガイドジャーナル)1987年12月号

東京でぴあ全盛の頃大阪を制していたのはぷがじゃだった。休刊号ではないのだが、実質的な心の休刊号だ。この号のコラムラインナップは竹内義和・林海象・もん・中島らも・なら山太郎。この号で、村上知彦~小堀純と続いてきた自主編集としてのこの路線は終了して、学生援護会側のまあいわゆるイベンターより利益よりな編集となる。この号、東京で買ったような気がするが、つくばで買ったのかもしれない。大学生が中心読者のせいか、それなりに全国配本されていた。

キレイ(水戸のタウン誌)1994No.10


茨城という地の特殊さには辟易する。
茨城県は唯一県域テレビ局がないまま21世紀を迎えた県だ。
全国で唯一。それ以外の都道府県には全部あるのに茨城だけ無い。
県議会では「広告が入らないから」「関東U局のほとんどが赤字だから」といって見送ってきた。結果、茨城県には映像記録らしきものが殆ど残っていないし、いまだにラジオ局がメインという異常な後進県となってしまった。
21世紀になってやっとわれわれがネットなどでしつこく訴えかけていたところ、橋本知事が「ネットTV」をつくりそれを代替にしようとしていた。それはそれで間違っているのだが、苦肉の策としていつのまにか同じ茨城県出身のNHK海老原氏(エビジョンイルとして有名になりましたが)へ依頼したのか、NHKをデジタル化して地域放送ができるようになるから、それを日本で最初に。みたいな話にいつのまにかなっていた。しかし民間放送じゃなきゃ意味ないって…。商業広告ができない県の風土や風景ばかり映ってる局なんか誰も見ないっていうの。商業地盤が発展しない理由は、音だけに頼った告知で済ませてるからです。

そして、もう壮絶なほどに、ビジュアルアピールができない茨城は、水戸メガモールなど大型店進出でさえいまだに拒むダメな土地になってしまってます(それが逆に、そのうち価値を生むのだと思いますが……)環境はいい、車で買い物に行くのには便利。でもそれ以上、特に情報がないのが今の茨城。

あんなに情報がなくて困った臨界事故があっても、ダメなのですね。
臨界事故の日に放送を平常終了した某ラジオ局のこと、いまだ覚えてませんか?

さて、そんな中でみんなUターンしてタウン情報誌などを作っている人が結構増えた。しかし、地域地盤を考えるとそうそうすべてが続くとも思えず(だいたい放送局を「広告が入らないから」作らないという土地柄。地域に民力がないといっているようなもの)ガンガンスクラップビルドされては、挫折している地方出版社も数多い。

キレイはそんな中、90年代半ばから出ている県央エリアのタウン誌、この号ではスイミング・インストラクターのインタビューと、編集が水戸泉町の裏手(天王町2)にあるブラジル料理店・「フォゼンダ ブラジル」にてアルシンドと対面する記事が出色だが、他はあんまり見るべきところは無かった。カラーページが多いのが救い。まだあるのだろうか。
しかし、キレイなんて誰でもつける名前なばかりに「女性向け性体験レディースマガジン」と、「大手出版社が出した女性誌」とも名前かぶっちゃってるのがあれですな。

ぽにーてーる平成元年3月号No.40「撃没&火の鳥号」


東京域だけに直販されていたアナーキーなリサイクル個人情報誌のはしり。
適当そうにみえて、結構なお店の広告数。表2には日東紅茶も入り、表4には渡辺自動車教習所の広告。

この頃はこの本の編プロ(というか立派な直販出版社だったが)は、おふぃす・ぽにーてーるを名乗り、千代田区富士見のぼろいオフィスを利用していたが、その後は編集プロダクション化し、ゲーム系の編プロとなる(レッカ社傘下に)。双葉社の着メロ本で一山当てる(しかし、着メロ本って今考えると名前すら思い出せない。時間の経過とは恐ろしいものだ)。着メロ本の編集の人、茨城出身らしく「月刊みと」でインタビューされてたのを見たけど、その人どうしてるんだろ。あの本で得た利益は何千万とあるのでしょうが、あくまでいち編集者(しかもプロダクション)には還元されてなさそうだよなぁ。僕も10年くらい年間億単位の利益上げてきたけど、普通の給与しかもらえてないし、つくづく編集はやるもんじゃないかもしれません。

この本って写植機買ってきて自力で組版していたのがすごい(あとに木曜舎)。
表紙はウエハラサトル画伯。一時期、全部の本に1枚ずつ絵をつけてた全員プレゼントなんかもやっててなかなか気が狂ってました。

この号よくみるとこれで休刊。「情報のより一層の整備と誌面の近代化を計るため、リハビリ季刊をいただきたいと思います。「情報アレルギーに対する体質改善を」との周囲の声に、編集部が積極的にお答えする斬新なおかつ画期的な試みです」とか書いてある。

休刊号マニアの僕ではあるが、別にこの本の休刊は望んでいなかった。直販雑誌の中では非常にいい加減で面白い本だったからだ(編集力はなかったが、そのいい加減さが好きだった)。
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ちょうどこの頃は、学校が終わり今の職場の前の編集プロダクションに勤め始める頃だが、新中野の商店街の半ばにある書店で、僕はなんとなく肩を落としていたことだろう。
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